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「フランク永井の故郷から」について記事一覧

 


1年延期となった第4回「フランク永井歌コンクール」は、2012年3月17日(予選会)・18日(決勝大会)として東日本大震災復興祈願 第4回「フランク永井歌コンクール」開催と致します。

会場は大崎市松山体育館です。入場前売り券は1,000円です(当日券1,200円)

詳細のお問い合わせ℡:090-1492-0438松元まで

 

   

   

 

 

 



大崎市松山地域で行う恒例正月地域行事、一年の健康を祈って行うマラソンとコース選択のウォーキングに皆様お誘い合ってご参加下さいますようご案内申し上げます。


フランク永井の「データBook 」の販売準備が整いましたのでお知らせ致します。

きらめく昭和歌謡を切り開いた栄光の全記録を集めたフランク永井のデータBookの販売を開始いたします。
フランク永井のふるさと・松山で地域での販売です。
店頭販売価格:1冊2,000円です。
ただ今、発売中!


この度、フランク永井さんの熱烈な一ファンが素晴らしいフランク永井のデータブックを自費出版しました。

フランクさんのヒット曲や業績を網羅したデータBookの著者は東京在住の矢萩光也氏です。
この本には彼の情熱がいっぱい詰まっていますので、手に取ると自分のそばに置いておきたくなるようなフランク永井ファンなら必見のデータBookです。

<ホット・ニュース>
矢萩さんのこのデータBookは、日本雑学倶楽部 当年の雑学出版賞に選ばれました。
来年2月の受賞式で正式に受賞されるそうです。~おめでとう!!~

販売価格は2,000円です。
きらめく昭和歌謡を切り開いた栄光の全記録!!102ページカラーの仕上がりとなっております。

販売に関しましては1.(有)インプット宛にフランク永井のデータブックの注文と明記の上、お名前、郵便番号、住所、電話番号を記載してFaxで送付のこと。Fax:03-5363-4869です。
2.料金2,080円を振り込んで下さい。データ本2,000円(送料メール便:80円)口座名義:ュ)インプット ゆうちょ銀行 記号

:10090 番号:62312521 *ゆうちょ以外の銀行からゆうちょ銀行へ振り込むときは、店番:ー○○ 口座番号:6231252種別:普通 
3.入金を確認し次第にメール便で発送するそうです。


松山地域での販売予定については:大崎市松山酒ミュージアム・華の蔵 or 自在窯&ギャラリー 共に店頭販売価格2,000円です。(見本を用意してあります)

ただ今販売準備中ですが、準備が出来次第に再度お知らせを申し上げます

お問い合わせ℡:0229-55-3735

  


今日、10月27日は、大崎市松山が生んだ偉大な昭和の低音歌手フランク永井さんの命日です。
早いもので三回忌になりました。

フランク永井さんの素晴らしい歌声は、私たちの心の奥深くに沁み込んで、いつも私たちを魅了し続けています。

フランク永井さんが眠るお墓は、大崎市松山桃源院です。
桃源院の山門を上がった左側の階段のあるところ......落ち着いた佇まいの中でフランクさんは静かに眠っていらっしゃいます。

合掌

20107-4-1.jpgあいさつ

「フランク永井歌コンクール」を多くの方々のご支援により開催しております。

フランク永井さんは当地域松山出身で、昭和歌謡界で数々の賞を受け、日本を代表する歌手で低音ブームを巻き起こし、都会的でモダンなフィーリングで大衆を魅了しました。

長らく療養生活を送ってきましたが平成20年10月27日逝去されました。

大崎市は「地域のことは地域で考えて、地域で解決していく」ために旧一市6町にまちづくり協議会をつくり、地域の伝統や文化地域性の継承や課題に取り組んでいます。

「フランク永井歌コンクール」は、フランク永井さんの歌を歌い継ぎ、地域の宝を磨き、地域の活性化をはかるため、大崎市の「地域づくりチャレンジ事業交付金(手上げ方式)」に第1回と第2回の2度チャレンジ事業として採択され、全国から出場者の方々を募集して参加を頂き、地域事業にすることが出来ました。

開催に当たっての基本的なコンセプトは

・フランク永井が歌ったオリジナル曲を歌う。

・立派なホールはないが、フランク永井の故郷で行う。

・音響は一流のものを使い、出場者には気持ちよく歌ってもらう。

・審査委員長はビクターより推薦してもらい公正を期す。

・フランク永井歌コンクールを通じて地域の活性化をはかる。

当松山地域は、地勢的には宮城県のほぼど真ん中よりちょっと北よりで、大崎耕土の東端にあたり、おいしいコメと伏流水での酒や味噌醤油づくりが行われ、自然が豊かで、春は桜、秋はコスモスが咲き乱れております。

戦国時代に山形、福島、宮城と領地を拡大した伊達家領地の北端で、大崎・葛西家との接壌地帯で、連郭式の山城仙石城が築城されました。江戸時代から明治維新まで伊達家の重臣茂庭氏が領主となりました。このため松山地域には歴史遺産が数多くあります。

私たちは、この松山地域で、歌コンクールを開催し、松山地域ひいては大崎市全体の発展に寄与し、皆さんに愛されるように努めてゆきたいと思います。

今後ともフランク永井歌コンクールへの出場や当地松山・大崎市への観光など、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

「フランク永井歌コンクール」開催実行委員長 畑中敏亮

 

 

昭和の大歌手・低音の魅力で歌謡界の黄金時代を築いたフランク永井(本名 永井清人)は、大崎市松山出身です。

私たちは、常々地域の誇りであるフランク永井に関する地域事業などをしたいと思っておりました。

そんな折、平成の合併が行われ、私たちが暮らす旧松山町は旧一市六町が一つになり、2006年3月31日に新市大崎市が誕生致しました。

合併後間もなく、七十七ショックが起き、七十七銀行松山支店が松山出張所に格下げになり、スパーマーケットが撤退をしたり.......松山地域はどんどん元気を失くし、地域が疲弊して行きました。大崎市の中で一番小さな共同体である人口7,000人弱の松山地区を元気で活気ある地域にしたいという思いはどんどん強くなって参りました。

そんな時に、大崎市地域自治組織である、松山まちづくり協議会教育文化部会の会議の中で「フランク永井歌コンクール」をやってみようという話が持ち上がりました。郷土の誇りである、フランク永井の名曲を歌い継ぐことで地域貢献をして、この地域をフランクさんの歌の力で元気にしたという熱い思いが込み上げてきました。

丁度その頃、大崎市では第1回「チャレンジ事業交付金」事業を企画し、ヤル気のある地域には交付金を出しますよというキャッチフレーズでチャレンジャーを募集しておりましたので、松山まちづくり協議会教育文化部会でTryすることになり.....無事採択され、交付金を頂き、それを原資にして第1回「フランク永井歌コンクール」開催にこぎつけました。

その後、2008年10月27日には、フランク永井さんがお亡くなりになり、郷土松山は深い悲しみに包まれましたが.......第2回「フランク永井歌コンクール」は、予定通りフランクンさんの誕生日の月、3月に開催することが出来ました。

第2回目も再度チャレンジ事業に挑戦をして交付金を頂きながら、フランク永井歌コンクールを松山の地域事業と位置づけて開催することが出来ました。

フランク永井は、2009年3月大崎市特別功績者第1号に認定され、実弟の永井 奨氏が第2回「フランク永井歌コンクール」開催前に多くの方々が見守る中で大崎市長より認定書を受け取りました。

今年3月には第3回「フランク永井歌コンクール」が開催され、今回は市からの交付金はもらわずに、松山まちづくり協議会からの支援だけで開催することが出来ました。毎回140名近くの出場者が予選会で、フランクさんの曲を熱唱し、名曲の素晴らしさをしっかりと歌い継いで下さっています。

第1回「フランク永井歌コンクール」の時には県外出場者は3名だけでしたが、2回目は21名に増え、3回目の時には米国カルフォルニア州モントレー市からも出場して頂き、ラブ・レターを歌唱した照井・ノビさんは準優勝に輝きました。(優勝者の詳細については過去の記事欄に掲載しています。)

「フランク永井歌コンクール」は、地域事業としての知名度が少しずつ増し、フランク永井歌コンクール実行委員会のスタッフは嬉しい限りです。

フランク永井歌コンクールの開催に関しての基礎づくりが、やっと仕上がりつつあるところまで進んで参りましたが、これからは、更に格調高い歌コンクールへと育てて参りたいと考えております。

そして、数多くのフランク永井の名曲を出来るだけ多くの方々に歌い継いで頂き、ほんものの歌手の素晴らしさを再認識して、フランク永井の名曲が流れる元気ある地域になってほしいと願っています。

          記:第1回・2回「フランク永井歌コンクール」実行委員会   

 事務局担当 自在窯&ギャラリー 小野寺京子

フランク永井さんの横顔

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昭和30年前後の流行歌といえば、春日八郎、三橋美智也、藤島桓夫、青木光一などに代表される高音で歌う、地方をテーマにした望郷歌謡が全盛でした。

しかし、モダンな生活への憧れが、昭和32年の大ヒット曲「有楽町で逢いましょう」で、都会派ムード歌謡への流れを変え、石原裕次郎、三船浩らとともに低音ブームを招いたフランク永井は、都会派歌謡ムードの一時代を築いた中心的スターでした。それまでの通年から言えば、決して美声ではなく、低音であり、特別の美男でもなく、すべて型破りでした。

その彼が、次から次へとヒットをとばしたのは、数多くの美声派歌手ばかりに慣れ親しんできた大衆が、今までにない声に感動したことと、気取らず素朴な態度と、人懐っこい人間くささと低音の余裕ある歌い方と身近な"にんげんのうだ'が、庶民の心を捉えて離さなかったのではないでしょうか。

歌の雰囲気から、いかにも夜の盛り場が似合いそうですが、若い頃は酒が飲めませんでした。ただ、クラブ歌手出身だけあってナイトクラブに行くのは大好きでした。そうして力道山が経営していた赤坂のナイトクラブで働いていた松尾和子をスカウト。のちに「女フランク」と呼ばれるようになり、フランク永井とともにビクターの都会派歌謡路線の一角を担いました。

また、NHK紅白歌合戦での共演が緑で、イタリアの名トランペッター、ニニ・ロツソとの「君恋し」のジョイント・レコーディングをした話題もあり、名実ともに日本歌謡界を代表する歌手であります。

魅惑の低音歌手、フランク永井

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昭和7年(1932)3月18日松山町(現大崎市松山)に生まれ、18歳の頃から進駐軍のボーイやブルトーザーの助手などをしていました。

昭和27年交通事故にあい退職。療養中に丹下キヨ子司会の「素人ジャズのど自慢」を聴き、「おれももしかしたら」と意を決して出場。「マイベイビーズ・カミング・ホーム」で見事鐘を三つ鳴らしました。その後多くの、のど自慢に出場し、優秀な成績をおさめました。この頃同好の士としてよく顔をあわせたのが、水原弘や沢たまきでした。自信を得た彼はテストを受け、米軍キャンプのクラブ歌手となります。

◆昭和30年 日本テレビの「素人のど自慢」で、年一度のベスト1に選ばれ、日本ビクター社にスカウトされました。
◆同年9月「恋人よわれに帰れ」でデビュー。
◆昭和31年「場末のペット吹き」で歌謡曲に転向。その後、作曲家「吉田正」氏との出会いから、歌謡曲に対する考えや歌手のあり方など、多くを学び「東京午前三時」のヒットとともに、歌謡曲歌手として自負を持つようになりました。
◆昭和32年「夜霧の第二国道」、「有楽町で逢いましょう」とジャズのフィーリングを生かした独特の歌唱法で爆発的ヒットをとばし、"低音ブーム''を巻き起こし、都会的でモダンなフィーリングで大衆を魅了しました。
◆昭和34年「夜霧に消えたチヤコ」・38年「赤ちゃんは王様だ」でレコード大賞歌唱賞受賞。
◆昭和36年「君恋し」でレコード大賞受賞。
◆昭和46年に芸術選奨文部大臣賞を受賞。
◆NHK紅白歌合戦には昭和32年から昭和57年まで連続26回出場。
◆その他数々のヒット曲を生み、ビクターヒット賞や多くの奨励賞などを受賞しています。
◆平成20年10月27日 永眠(76歳)
◆平成20年12月 日本レコード大賞特別功労賞受賞。
◆平成21年3月 大崎市特別功績者第1号に認定される。

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